光 〜天使の捨て子〜 2−4
翌日、私は珍しく八時過ぎまで眠っていた。今まで極端な例を除き、どんなに遅くまで起きていようと、定時刻には目を覚ましていた私が、目覚まし時計の音でも目を覚まさなかったのだ。
母はキサラを連れて散歩に出かけたらしく、私はテーブルの上に残されていたサンドイッチに手をつけた。朝食ぐらい自分でも作れるが、その手間が省ける分、こっちのほうが確かにいい。
今日どう過ごすか、昨日の夜のうちに私は決めていた。
私服ではなく学生服を身に纏い、サイフをポケットに入れて家を出た。そして、まず家から近い生花店へ入った。
「いらっしゃいませ!」
朝からなんともせわしなく店員達が働いていた。一体何故なのだろうかと眺めていると、店員の一人が視線に気付いて持っていたバケツを置き、私のほうに視線を向けた。こちらが見ていたのに、向こうから視線を投げかけられると何か尋ねなければダメだろうと思い、どうして忙しくしているのかという疑問をそのまま尋ねた。
「ああ、これ全部弔花・・・葬式用の花です。」
その言葉だけで、何を意味しているのか私にもわかった。
「そうですか。」
店員は私が学生服だということに気付き、申し訳なさそうに顔を俯かせた。
「お兄さんも、ですか。」
「・・・はい。」
小さく返答し、私は店員から視線を逸らした。それから、一体どういった花を買えば良いのか分からず、とりあえず店内を歩き回った。
五月の花のコーナーには、釣鐘の花をつける鈴蘭、薄い青みを帯びた紙で作った星のようなハナニラ、赤い花びらの牡丹と白い花びらの牡丹、ピンクの花びらの芍薬、淡い青紫のツルニチソウ、それから、クレマチスやオオデマリ、コデマリ、シラン、ゼラニウム・・・そして、薔薇など様々な種類の花があった。葬式など参加したことなかったので、ほとんど知識はない。ただ、あまり色の無いほうがいいのではないかというイメージがあった。以前テレビで見た葬儀では、百合の花が多く使われていたが、この店では売り切れになったらしい。そこで、視界に入ったのは鈴蘭と牡丹の白い花だった。どちらかと言えば、菊に似た牡丹のほうがいいような気がしたが、あまり大輪は好きでなかったので私は鈴蘭を選んだ。
店員は忙しそうにしていたが、鈴蘭を丁重に包んだ。焦っていてもこういうことが上手くできるのだから、さすがであると何と無く思った。
私は人通りが多い道は好まなかったので、裏道を通ってタクの家を訪れることに決めていた。そこは道路があまり綺麗ではなかったので、自転車だと転倒する可能性があり、徒歩でなければ進めなかった。学校以外の場所へ出かけることがほとんどなかったので、こうして街を散策するのは小学校以来だった。
表通りとは違い、裏通りは昔とほとんど変わらないので私は安心した。小学生の頃は、タクと一緒によく探検をしたもので、この街の裏道ならほとんどと言って良いほど知り尽くしている。
けれど、もうあいつはいない、
実際に事故現場を目撃したわけでも、タクの死体を見たわけでもないので実感が湧かなかった。そして、死んだのがタクでなければ、私はこんな事故をすぐに記憶から消し去っていたことだろう。
静まり返った街を昔の記憶を頼りに進み、白い壁に赤い瓦の昔と変わらないタクの家にたどり着いた。玄関のベルを鳴らし、一分ほど待っていると目の落ち窪んだ女性が顔を出した。私の記憶が確かなら、この女性はタクの母親だったはずだ。
「どちら様ですか、」
「・・・僕は、遠井光と言います。」
「あら、光くんね。」
タクの母親は、ほんの少し表情を和らげて私を家に招き入れた。私は彼女に鈴蘭の花を渡し、薄暗い廊下を進んで畳の部屋へ通された。畳の部屋には白い布に包まれた箱が一つだけで、タクの遺体はそこになかった。
私の視線に気づいたのか、タクの母が隣にきて、囁いた。
「身体がね、バラバラだったの。」
震えた声で告げられたことに、私は何も言えなかった。黙って彼女に頭を下げ、その箱に手を合わせた。
この中には、タクの骨が入っているのだろう。
血も肉もない、雪のように白い、粉のような骨が。
「・・・失礼、いたします。」
あまり長居するのは良くない。
そして、私自身がここに居たいと思えなかった。
私は簡単に挨拶を済ませると、逃げるようにタクの家から離れた。
自宅の前まで戻ってきたが、私は家に帰る気がおきなかった。リビングの窓に人の影が見えたので、母が帰ってきたのだというのはわかった。
家以外、私が長居する場所は皆無だ。強いてあげるなら、公共の図書館か、本屋くらいである。
何処へ行こうかと玄関から踵を返すと、前の家から出てくるチエと目が合った。チエはいつもと変わらない笑顔で、「みっちゃん!」と私の名を呼びながら近づいてきた。
「チエ、学校は、」
「一週間はお休みなの。みっちゃんもでしょう。」
「ああ。チエはどこかに出かけるのか、」
「お昼のうどんを買いに行くの。みっちゃんは、」
チエの学校の生徒は、電車に乗ることがないので彼女自身はそれほどショックが無かったのだろう。普段とほとんど変わらない明るさで、小さな手を声と一緒に動かしながら私を見上げている。
「私は、ただ外に出てみただけだよ。」
「ふーん。なら、いっしょに買いものにいこ!」
私が肯否する前に、チエは私の手を引っ張って歩き始めた。別に行きたくない理由もなかったので、素直に手を握られたまま歩き始めた。
買い物は本通りへ出なければならない。本通りは人が多いのであまり好まなかったが、今回ばかりはそれを甘んじて受けようと自分勝手に考えていた。ずっと握り締めるチエの手は、子どもの体温らしく暖かい。反対に、私の手は氷のように冷たいのだろう。
「みっちゃんの手、気持ちいいね。」
私の気持ちを察したのか、チエが手を強く握ってきた。
「どうして、」
「だって、すずしいもの。」
「そういう時は、冷たい。」
そうなのかとチエは照れたように頭をかいた。私は、冷たいと言われるより涼しいといわれたことに、そのとき不思議と安堵していた。
スーパーは夕方のときよりも人が少なかった。私はチエの代わりにカゴをもち、うどんを三玉入れて私たちはレジに向かった。レジの店員が素早くバーコードを読み取り、私の隣でチエは肩から提げた鞄から財布を出して会計をしていた。私も何か買おうかと思ったが、格別欲しいものもなかったのでやはり止めにした。
「終わったよ、みっちゃん。」
「ああ、うん。」
いつの間にか入り口まで行っていたチエに、走るわけでもなくゆっくり近づき、また手を繋いでスーパーから出て行った。あとは帰るだけなので、予想よりも時間つぶしにならなかったと少々落胆した。
「みっちゃん、」
手を繋いだまま、チエが私を見上げてきた。
「どうした、」
チエの黒々とした丸い目に、私の影は欠片すら映っていない。
「みっちゃん、元気ないね。」
あまり表情に出るほうではなかったので、チエに言われ驚いた。
「ああ、元気ない。」
「あのね、悲しいときは、泣かないとだめなんだよ。」
心臓がキリリと悲鳴を上げた。指先が痺れて、思わず私はチエから手を離した。
「・・・どうして、」
「テレビで言ってたの。ナミダは、悲しい気もちをらくにしてくれるって。」
私の胸の位置と同じくらいしか背が無いのに、チエは必死に手を伸ばして額をぽんぽんなでるように叩いた。私が屈めばいいのだろうが、敢えてそうするつもりはない。
「ありがとう、チエ。」
私が礼を述べると、チエは微笑み、額から手を離した。
家に帰るまでに、気を入れ替えなければならない。けれど、今ならすぐにでも泣けるような気がする。
「みっちゃん、はやく元気になってね!」
「ああ、」
つないだ手が、今度は日の光と同じ暖かさがあった。
その週の土曜に、学校で合同葬が行われた。
生徒、保護者、マスコミを含め、体育館に入りきらない人が集まっていた。
ただ、私がそのことを覚えているのは、テレビをつけていたからである。
私はその葬儀に参加していなかった。
今もあの時も、参加しなかったことに後悔はない。
あんなものは、体面を気にした意味の無いものだからだ。
けれど、私が悔やむのは、
あの時、チエの言うように泣けなかったことだけだ。
もし泣いて、悲しんでいたなら、私はすぐに、前に進めていたのかも知れない。

プロフィール
